魚拓とは、魚の拓本である。
日本よりはるかに昔から拓本の技術が発達していた中国にも魚の拓本はない。
魚を拓するという発想は日本独特のものであり世界に例のないものだ。
わが国最古の魚拓といわれているものが、山形県庄内の本間美術館に保存されている。
庄内は藩主自ら釣りを好み、心身の鍛練のため武士に釣りを奨励したといわれる土地柄だ。
釣りを勝負と呼び武士達がこぞって競い合った。
その勝負の結果を人に示すために、当時は”摺り型”と呼ばれた魚拓が誕生したのだ。それは江戸時代の後期だといわれている。
現存している最古の魚拓は、巻物風の綴りになっており、そこには当時、剛鯛と呼ばれたチヌや、紅鯛と呼んだマダイなどが1尺5寸とか1尺1寸八分というように、大きさや釣り場、釣った人の名前のほか釣った日や時間まで記されている。
このように釣った魚の記録を残しておく目的のために魚拓は誕生したが、いまもその目的は失われていない。
一日限りとか数日間の釣り大会などでは、大会本部に釣った魚を持ち込んで、長さで競う場合は検寸台で実際の大きさを測るし、重さの場合は秤で検量して競うのが普通だ。
ところがペナントレースなど長期間で釣り場が広範囲にわたる釣り大会の場合、その期間中に釣れた魚を競うため実物を検寸や検量するのが大変なので、魚拓審査という方法が採られるようになったのだ。
ただ、魚拓で記録をとるようになると、魚が大きくなればなるほど実際の寸法より大きく拓されるのが普通だ。
たとえば実寸1㍍の魚を魚拓にした場合、確実に4、5㌢は伸びる。
これは平たい魚よりクエやマグロなど幅があり頭から尻尾にかけて大きくカーブしている魚ほど魚拓寸法が伸びるものだ。
また、キスなどのように細い魚を魚拓にするとき、少しでも長くなるように骨を外して体を伸ばし魚拓をとるという不正な方法がはやったこともあった。
このような記録魚拓は普通は墨でとるが、これをカラー魚拓にする方法が広まってから、魚拓がひとつのアートとして開花した。
このようなカラー魚拓は、記録として残しておくことはもちろん、見て楽しめるように工夫されたものが多い。
記録として残す場合は1匹しか拓さないが、アートとして拓すときは何匹もの魚を並べたり重ねたり、あるいは背景に草や海草をあしらったりすることが多いのだ。
このような色彩魚拓には、直接法と間接法がある。
直接法というのは、できるだけその魚が生きていたときの色を再現しつつ、魚に直接絵の具を塗って拓す方法である。
もうひとつの間接法は、まず魚に布をかぶせたんぽなどを使ってかぶせた布に色を付けていく方法である。
見た目の美しさは間接法でも見事に再現できるが、ウロコの荒々しさや魚の躍動感など直接法でないと表現しにくい部分がある。