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2013年8月8日

ウナギが食べられなくなる日

魚は好きだが長物、つまりウナギのような魚は苦手だという人が案外多い。魚好きの日本人でこれだから外国へ行けばもっと、と考えられるがジツはその通りで、気味悪がって食べない国が多いのだ。それではウナギ好きの日本人はいつごろからウナギを食べるようになったかというと「万葉集」の巻16に大伴家持の歌に登場する。
 
「夏やせによしといういふものぞ牟奈伎(むなぎ)を食せよ」とすでにこの頃から夏バテによいと、その効能が書かれているのだ。当時どのようにしてウナギを食べていたのか定かではないが、蒲焼きにされるようになったのは1400年代といわれる。

もともと上方で始まった料理法だが、これが江戸に持ち込まれ少し脂濃いので江戸っ子が工夫して、白焼きにしたあと蒸し上げ、もう一度タレを塗って焼く江戸風の料理が完成したのだ。当時、蒲焼きは深川で取れたものを最上とした。このように関東の蒲焼きは白焼きにしたものを蒸し、さらにタレにつけて本焼きにしたが、背開きにするのが特徴。これは腹開きにすると、切腹をイメージするので嫌われたそうだ。
 
一方、蒲焼き発祥に地、上方では切腹なんて平気というわけで腹開きにしたものに金グシを打ちそのまま焼き上げるのが特徴。土曜の丑の日にウナギを食べるようになったのは江戸時代の中期ごろで、その発案者は本草学者の平賀源内といわれるのが通説だが、食通で知られた蜀山人という説もある。
 
夏ばてによいのは栄養価が高いためだが、特に目の薬といわれたのはビタミンAが豊富なため。その数値は蒲焼き100g中に5000iu、肝は3倍の15000iuも含まれるといわれる。昔の人は、ウナギと梅干しは食い合わせで腹具合が悪くなるといったが、これは科学的な根拠がないそうだ。物好きな人が3日間ウナギと梅干しを食い続けたそうだが、どうもならなかったとか。
 
ウナギの語源は、胸黄(むなぎ)がなまってウナギになったといわれる。胸黄といわれる通り天然物は腹部が黄白色である。日本にいるのはウナギと体長2m近くになるオオウナギの2種。川や湖で5~10年過ごしたあと海へ下って産卵する。フ化した稚魚はレプトセファルスと呼ばれる柳の葉に似た透明な稚魚になり、潮に乗って日本近海にやってくる。やがて体長7、8cmになると細長いウナギの形になり冬から晩春にかけて河口からソ上する。
 
日本産のウナギも長い間、産卵場が分からなかったが、1959年、硫黄島の近くでレプトセファルスが採取されフィリピンか台湾近くの水深400~500mの深海で産卵するのではと推定されていたが、2006年、東京大学海洋研究所の研究チームが、本当の産卵場がグアム島やマリアナ諸島西側のマリアナ海嶺のスルガ海山付近であることを突き止めた。
 
ウナギは夜行性なので日中は石垣や土手の穴に潜んでいて夜間に活動する。また、水温が10度以下になるとエサを食べず冬眠する。絶食に強く半年ぐらい食べなっくても平気、エサを与えず1年間飼育した例もある。ウナギは皮膚呼吸できる魚で、雨の日などに川から離れた池などにも移動する。コイの滝上りはウソだがウナギは上る。水さえあれば急流や滝でも平気で、ナイアガラの滝を上って上にあるエリー湖に住み着く強者もいるそうだ。

そんな日本人が大好きなウナギだが、完全養殖が難しいためシラスウナギと呼ばれる稚魚を取って養殖してきた。しかし、最近は稚魚の取りすぎが原因か、漁獲量が年々少なくなり、ついに、環境省のレッドデーターブックに絶滅危惧種として載るようになった。このまま稚魚を取り続ければ絶滅の恐れがあり、食べることが出来なくなる恐れがあるのだ。だから蒲焼きの値が高騰を続けている。
 
とはいっても、土用の丑の日が近くなると、都会のど真ん中を流れる大阪の淀川では、夜になるとウナギ釣りの釣り人がずらりと並ぶ。これが夏の風物詩でもあるのだ。
 
ポピュラーな餌は、ドバミミズだが、もし手に入るようなら天然アユの切り身を餌にするのが最高。河口に近い汽水域ではアオイソメでも釣れる。